グラフィティアート=落書きじゃないのか?の問い

趣味
この記事は約3分で読めます。

私もそう思います

「だって公共の壁なんかに描いたら捕まります。」

例えば東京都が公開した倉庫に書かれたものなんかも、

アート作品としては確かに重宝されるべき、いわゆる”風刺”的なアート作品だと思います。

ただ、世界の公共の壁にメッセージを残す行為は、犯罪ですね。

これは落書き行為ですが、

描いている本人たち(グラフィティアーティストやグラフィティイラストレータ)は、皆自覚の上だと思います。

自分の所有物じゃないものに絵を描いたら、チョークでも検挙される可能性はあるのに、身を隠して社会に言いたいこと/伝えることを、容易に消すことはできないようなスプレー缶や油性ペンキなどで「作品と呼ばれているもの」として残す。

社会への批判や反骨精神、ハングリーな部分から社会が生むべきして生まれた存在であると思います。

ですが

評価すべき点は彼らのグラフィティがただ単の落書きで収まっていない部分です。

彼らの作品は全て落書き行為ですが、

彼らが公共のもの以外に描いたとしたらアート作品として完結するものも中にはある事が、

本来の落書きとアートとして認められるべきなのかが混同しているんじゃないかと思います。

個人的にはグラフィティは大好きです、

ただ、落書きは落書きです。何度でも言います。間違いないです。

アートとして評価されるのは2手も3手も後回しであって、正しい行為ではありません。

ただ個人的には非常に好きなのは、

彼らの作品が第3者の会社からステッカーやTシャツのようなグッズとして売られているものを街で見かけたり、ステッカーを携帯やPCケースに貼ってあったりするのが、
見ていて ”伝える力” に魅了される瞬間であるからです。

隠れたアーティストとして有名人が描いたものが、自分の持ち物に貼られているのは魅力的だとも思います。

きっとこれからも世界に何かを仕掛けてくるに違いない

彼らの多くは、基本的に素性を明かさない社会から隠れたアーティストたちで、

弁償や捕まることを自覚した上で器物破損行為を行い続ける、

世間的には評価されるはずがない/評価されることを求めてはいないアーティストです。

利点ではなく、社会の情景を正直に伝えるべきだと思うメッセージを公共の人々が目につく場所へ残し表現し、伝え続ける。

彼らには描き続けることに意味があり、それらが「アート」でないことも本人たちも理解していると思います。

アート作品と呼ばれているのは、全ての理由を度外視して評価したときにアートとも呼ばれることもあります。

皆、想いを形にして気持ちが込められている素晴らしい作品と言えると思いますが、

くれぐれも落書きの範疇であり、評価するべき矛盾されたアートではあると言えます。

落書きはダメ!

※本ブログ内の記事は、個人的な評論で個人の見解に基づくものです。様々な見方や正誤のある見識ではありませんのでご理解をお願いできればと思います。

まとめ

・ちやほやすべきでない。
・公式に認めちゃいけない。
グラフィティアーティストは公式に顔出しができない理由がある

誤解を生む点もあるので、上記のコラムは誤認がないように説明させていただきます。
グラフィティは間違いなく落書きです。
自宅の壁に書くのとは全然違いますので(それはそれで賃貸は危ない行為)器物破損行為は推奨していません。

タイトルとURLをコピーしました